林田藩の領地は30数村に分かれている。林田藩は領地を4つの大庄屋組に分割し、各組には一名ずつの大庄屋を任命した。大庄屋は農民ではあるが、名字帯刀を許され、格別の特権と扱いを受けた。林田藩の大庄屋の中でもっとも有名な存在が三木家である。豪農を世襲的に大庄屋として、委任行政事務を執行させる方式は他の小藩にも見られる。
林田藩の江戸藩邸の上屋敷は外神田に置かれた。ここには上総久留里藩黒田上屋敷、下野黒羽藩大関家上屋敷、安房勝山藩酒井家上屋敷、播磨林田藩建部家上屋敷、信濃上田藩松平家上屋敷が並んでいた。そのために神田五軒町と呼ばれることになる。
林田藩の下屋敷は染井霊園の場所にあった。
林田藩ゆかりの幕臣に小栗忠順がいる。
「忠順は、早熟、雄弁で幼少時は「天狗」と呼ばれ、14歳のころ播州林田藩主建部政醇を訪れ、悠然とたばこをふかし、たばこ盆をたたきながら、「船を作り海外に進出すべきだ」と論じ、周囲を驚かせました。23歳で建部家の次女道子を妻に迎えましたが、大変な愛妻家だったといいます。」(福田嘉文「忘れられた幕末の偉人─小栗上野介」江戸東京博物館友の会会報『えど友』第69号、2012年、6頁)

NHK連続テレビ小説『なつぞら』では、アニメータとして、やる気を見せるために「命をかけます」との発言があり、それに対して「命をかける必要はない」と答えた。これは使用者の安全配慮義務で、東急ハンズ過労死のような悲劇を避けるためには必要なことである。命を懸けるという暑苦しい昭和マインドの熱血は逆に迷惑になる。