小松美彦、今野哲男『「自己決定権」という罠』(言視舎、2018年)は「自己決定権」の危険性を主張した書籍である。脳死や臓器移植、安楽死・尊厳死の推進はナチスの発想と同根と指摘する。「自己決定権」や「人間の尊厳」を名目にした人間選別思想である。それは相模原障害者殺傷事件にも結びついているとする。

主に小松さんが主張し、今野さんが聞き手になっている。小松さんは生命倫理の研究者で、東京大学大学院人文社会系研究科死生学・応用倫理センター教授。

インフォームド・コンセントや患者の自己決定権は患者のためのものである。ところが、日本では正しく使われていない。医師が安易に使って責任を患者に押し付けたり、責任逃れに悪用されたりしているように見える。承諾書にサインしたのだから文句を言えないというようなアリバイ作りに使われている。「契約書に署名捺印したから、契約の意思表示があり、契約は有効に成立した」は悪徳商法の論理である。

さらに政府には医療費削減の動機があり、国民は治療中止の自己決定をしむけられている面がある。治療拒否の意思表示は尊重するが、生きたいとの意思表示は無視するならば、自己決定権の尊重ではなく、医療費削減の誘導になる。このまま命の切り捨ての流れに任せては大変なことになるだろう。誰のための、何のための自己決定権かが問題である。

公立福生病院の人工透析中止事件は人の意思が絶対ではないことを明らかにした。亡くなった患者は治療中止の意思確認書を出した。その後、撤回の希望を表明したが、撤回されずに亡くなった。この点について小松さんはラジオで人の意思は変わるものであると指摘した(NHK『マイあさラジオ』「人工透析中止問題 ~自分の死は自分のものか~」2019年3月29日)。取り消す自由があってこその自己決定権になるのではないか。

近代法学は人の意思を絶対視し、相手方の信頼の保護を優先させる傾向があった。しかし、それは悪徳商法の契約を有効とし、悪徳業者を助ける結果となった。この19世紀20世紀的な意思表示ドグマを見直す時期に来ているのではないか。