林田藩の初代藩主は建部政長の父親の光重は慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは西軍に属した。関ヶ原の合戦の前哨戦となる安濃津城の戦いに加わっている。毛利秀元らの西軍は伊勢平定を目指し、伊賀から進出した。これに安濃津城主の富田信高が籠城して抵抗した。安濃津は三重県津市である。西軍は毛利秀元、長束正家、安国寺恵瓊、鍋島勝茂、長宗我部盛親ら3万に対し、信高らは約1700と寡兵であった。
伊賀から進出した西軍は安濃川を渡ったと思われる。安濃川は三重県津市を流れ、伊勢湾に注ぐ河川である。塔世川とも呼ばれた。安濃川は津城の北側を流れ、天然の外堀の役目を果たした。南側の外堀は岩田川である。
安濃津城の戦いは慶長5年8月23日に小競り合い、8月24日朝に本格的な合戦が始まった。毛利勢や長宗我部勢は関ヶ原の合戦では遊兵となったが、安濃津城の戦いでは激しく戦った。吉川広家は関ヶ原の合戦ではサボタージュしたが、安濃津城の戦いでは武人の血が騒いで奮戦した。