小林龍生『ユニコード戦記 文字符号の国際標準化バトル』(東京電機大学出版局、2011年)は文字コードの国際標準であるUnicode策定に関わった著者の記録である。個人の体験談として書かれており、生々しい。一方でUnicodeそのものを学習したい人には不向きである。国際的な会議に参加したり、プレゼンしたりする人にはジャンルを問わず、参考になるだろう。

タイトルには戦記とあり、著者は戦っていたことになるが、どのような立場で誰と戦っていたのかは明確ではない。冒頭でパックスアメリカーナ(20頁)や情報帝国主義(28頁)というキーワードが出てくる。ここからはグローバリゼーション批判の立場に見える。

序盤ではルビを定義するルビタグをめぐる戦いに敗北したとある(44頁)。しかし、著者らの意見は注釈に入れられている。何が不満か分からない。外国人が日本語のルビを決めることはけしからんという発想であるとしたら偏狭である。本書自身が後半で以下のように指摘している。「日本の言語・文化については日本人がいちばんよく知っているという思い込みは何とかしてもらいたいものだ」(174頁)

むしろ著者はグローバルな感覚を持った人物として、日本の官僚的体質が矛先になる。日本人の問題として組織を代表して来ているのに「持ち帰って」と答えることがある(60頁)。これは決断が遅れるデメリットがある(61頁)。この決断が遅れるとは全体の決定が遅れるだけでなく、相手を待たせるという不利益がある。

また、本書では「同じ日本人だから」という情緒的な仲間意識で要求を通そうとする日本的コミュニケーションに嫌悪感を覚えたとする(67頁)。同質性を前提とした集団主義は、ダイバーシティの21世紀には時代遅れである。

著者の論理的明晰はカウンターの職員にも発揮される。職員に「少々お待ちください」と言われた時に「キミの言う少々とは、一分のことか、一〇分のことか、一時間のことか」と尋ね返したという(128頁)。問題点を曖昧にしない。

著者の戦った相手は日本国内のステレオタイプなユニコード批判がある。漢字について知らない欧米中心の統一規格で、日本と韓国と中国の漢字を一緒くたにしてしまうという誤った認識に基づく批判が起きていた(93頁)。その批判の背景はJIS漢字では森鴎外の「鴎」の本当の字体(シナカモメ)が使えないという問題であった。これはJISの問題であって、ユニコードはとばっちりである。

本書は、字形の異なる文字を全て独立した文字として文字コードを割り振ることを批判する。異体字を紐付ける電子的なメカニズムを設けることを主張する(101頁)。これによって浜を検索する際に、浜と濱の両方の電子テキストをヒットできるようになる。本書の主張は電子データとしての文字利用に適っている。

この争いを本書は文化と工業規格の争いと表現するが、今やコンピュータが出発点のクリエイターも多い。文字のために活字を作っていた前時代の業界感覚と情報時代の感覚との争いだろう。