現代貨幣理論Modern Monetary Theory; MMTは通貨発行権を有する政府の支払い能力に制限はないため、財政赤字を気にせずに積極的に財政出動すべきとする主張である。正直なところ、私は魔法の壺や打ち出の小槌に期待する発想に危うさを覚える。私は1+1=2であり、2-1=1でなければならないという感覚が強い。「入るを量りて出ずるを制す」の健全性の方が合っている。

MMTの説明は、貨幣は交換価値を表象するものではなく、借用書であることを理解させることから始める。これは人類史の長い時代に流通していた鋳造貨幣や兌換紙幣を無視する議論であり、Yesとは言いにくい。議論の妥協として現代の信用貨幣が借用書の性格を持つことは合意できるだろう。

ここまでで議論に長い時間がかかり、それなりのエネルギーを費やしがちである。多くのMMT論者の悪いところは、信用貨幣が借用書の性格を持つことが認められれば、MMTが認められると考えてしまうことである。当然ながら借用書ならば無制限に発行しても良いとはならない。借用書通りに返済できなければ破産する。

これに対してMMTは国家には徴税権があるため、返済は可能と主張する。しかし、徴税権に制限を課すことはマグナ・カルタ以来の立憲主義の伝統である。国家が徴税権を無制限に行使することは国民の人権侵害である。結局のところ、国民から好きだけ奪えるから、国家が無制限に通貨を発行できるという主張になる。魔法の壺や打ち出の小槌は存在しない。

MMT論者は財政を家計や企業会計の常識とは異なる、全く別のものと考えているのだろう。これは国家の仕組みを上手く使えば皆が幸せになるというケインズ経済学や社会主義計画経済のアナロジーに見える。

現実は、ケインズ経済はスタグフレーションを克服できず、計画経済は破綻した。ケインズ経済や計画経済による国家の公共投資は建設業など既存の産業に偏りがちである。官僚の利権の思惑が入り、固定化する。成長分野へのリソースの移動の阻害要因になり、経済を衰退させる。就職氷河期世代の私はケインズ経済や計画経済の機能不全を目の当たりにして育ち、新自由主義経済が勃興する背景を理解している。このため、MMTどころか、ケインズ経済の有効需要の創出すら眉唾に感じている。

逆に日本におけるMMTの熱烈な信奉者には、昭和の高度経済成長期への郷愁を感じてしまう。昔の日本は、それなりにまともだったが、今の日本はどうしようもないというものである。右肩上がりの経済成長が終わった環境変化を認識せず、新自由主義が入って日本経済がおかしくなったとする感覚があるのではないか。

しかし、昭和の日本が良かった訳ではない。昭和にはブラック企業という言葉はなかったが、今の基準ではブラック企業に相当する企業は珍しくなかった。パワハラという言葉はなかったが、今の基準でパワハラに相当する行為が横行していた。

戦前に戻ろうとすることだけが反動ではない。昭和の戦後に戻ろうとすることも反動である。むしろ、戦後を直近の一昔前の時代と認識する世代には、逆に戦前は遠いために新鮮さを持ち、昭和の戦後に戻ろうとする方に強い反動イメージを抱きたくなる。

戦前のような全体主義への嫌悪感を共有することは大切である。それに嫌悪感を抱くならば、戦後の集団主義にも嫌悪感を抱かなければならない。「戦前はダメだが、戦後は良い」では既得権擁護の守旧派になる。インターネットで買い物ができ、情報収集と情報発信ができ、仕事もできるようになりつつある時代を享受している身には「昔は良かった」は悪夢でしかない。

21世紀に残る昭和の悪癖を根絶することは社会を変えたいと思う人々の課題である。MMTが広く受け入れらえるためには昭和の土建国家の流儀と大きく異なることを示す必要があるだろう。