だまし売りNo

隣地建て替えによる日照・眺望・通風阻害のマンション購入契約を消費者契約法の不利益事実の不告知で取り消したノンフィクション『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』/二子玉川再開発問題/Achieving SDGs by No Fraud & No Drug/Stand With Ukraine

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2019年08月

円頓寺本町商店街の金のシャチホコ

愛知県名古屋市の円頓寺本町商店街の金のシャチホコです。「円頓寺本町」と書かれた赤い台座の上に鎮座しています。目が迫力があります。歯が銀色です。商店街の中に「まちなか農園」という広場があります。ローズマリーなどが植えられています。
円頓寺商店街は名古屋市西区那古野のアーケード商店街です。名古屋の下町です。長久山圓頓寺の門前町として栄えました。正しい読みは「えんどんじ」ですが、今は「えんどうじ」となっています。
名古屋駅と名古屋城のほぼ中間に東西に延びています。しかし、南北に走る幹線道路によって分断され、円頓寺商店街、円頓寺本町商店街、西円頓寺商店街に分かれました。東から円頓寺商店街、円頓寺本町商店街、西円頓寺商店街です。
円頓寺商店街は全国の商店街と同様、消費スタイルの変化からシャッター街となっていきました。余所者の建築家の活動を契機として、空き店舗を個性的な店舗で再生し、活性化しました。スペイン風居酒屋や古民家カフェ、ブラジル音楽専門店などが地域外からも人を呼び込みます。コンサルティング会社や自治体主導とは真逆の進め方が成功要因です(山口あゆみ『名古屋円頓寺商店街の奇跡』講談社、2018年)。
2015年にはフランスのパリの商店街パサージュ・デ・パノラマと姉妹提携しました。秋にはパリ祭が開催されます。パサージュ・デ・パノラマは切手商が集まることで知られています。
国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」(2019年)では円頓寺商店街や円頓寺本町商店街、四間道(しけみち)が会場になりました。芸術監督の津田大介さんが町の雰囲気を気に入ったとされます(「アート沸騰「新たな発見して」 名古屋・円頓寺商店街」中日新聞2019年8月31日)。「あいちトリエンナーレ」のポスターをよく見ました。「あいちトリエンナーレ」は「表現の不自由展・その後」の中止が波紋を呼んでいます。
円頓寺商店街の脅威は開発による高層化です。「土地の高度利用が進むことで、那古野 地区の持っている地域の風情や情緒が消えていくことが懸念される」(岩田悠佑「那古野地区のまちづくりの方向性 那古野スタイルの構築」名古屋都市センター平成23年度自主研究報告書、2012年、4頁)。私が「SDGs 住み続けられるまちづくりを」を発表した東京都中央区月島も再開発の高層化が地域の風情を破壊しています。

氷花餃子の台湾ラーメンとチャーハン

台湾ラーメンは中京圏のご当地ラーメンです。豚挽き肉やニラ、モヤシなどを唐辛子たっぷりで炒めます。大量のニンニクを入れます。辛さが苦手な人には強く感じるかもしれませんが、日本人向けのラーメンであり、本場中華の体が拒否する激辛とは異なります。台湾とありますが、名古屋発祥です。味仙で生まれました。NHK『ブラタモリ』#90「ものづくり名古屋 名古屋が生んだ“ものづくり日本”とは?」のランチは台湾ラーメンのようです。
三重県津市の中国菜館・氷花餃子・津新町店で台湾ラーメンとチャーハンのセットを食べました。豚挽き肉が中央に乗っています。台湾ラーメンには唐辛子が箸に絡むようほど入っているものもありますが、ここはそれほどでもありません。替え玉は無料です。何も言わなくても、替え玉を追加してくれました。お腹いっぱいになりました。
ここは津ぎょうざや伊勢海老を乗せたラーメンも提供しています。ローカル色の強い中華料理店です。注文はタッチパネル式です。氷花餃子は小田原の店が有名です。小田原の店は東北の本格中華料理です。

東海道新幹線のぞみ237号の品川駅から新横浜駅

東海道新幹線のぞみ237号の品川駅から新横浜駅です。北側の車窓です。東海道新幹線は東京駅と新大阪駅を結ぶ新幹線です。1964年10月1日に開業しました。東海道新幹線には「のぞみ」「ひかり」「こだま」があります。これは速達性の高い順です。のぞみは東京駅、品川駅、新横浜駅、名古屋駅、京都駅、大阪駅に停車します。新横浜駅から名古屋駅が長いです。三河安城を通過する際にアナウンスがあります。
「高度経済成長期から日本経済の伸長とともに輸送力を伸ばし、なくてはならないものとなった新幹線。その登場は日本のみならず、世界の高速鉄道の歴史を大きく変えました」(「新幹線の半世紀とこれから」慶應義塾大学出版会『三田評論』2015年3月号)
品川駅では投資用マンション営業が「名刺交換させて下さい」と声をかける被害が報告されています。名刺交換したら、迷惑勧誘電話がかかってきます。投資用マンション営業は時代遅れの昭和の営業です。デジタル化によって、昨日までの常識が一変する時代が到来しています。従来の売り方は通用しなくなりました。SalesTechという言葉が生まれています。

Hello. I took a ride on the Japanese bullet train train, Shinkansen. It is a network of high-speed railway lines in Japan operated by four Japan Railways Group. Tokaido Shinkansen takes 2.5 hours from Tokyo to Osaka. I travel for hours at a time, getting settled for the long ride, eating meals, snacking and reading books. I see Mt. Fuji on the right side.

やまむら はじめ『姫ヤドリ』

やまむら はじめ『姫ヤドリ』(小学館)は冷戦時代の東ヨーロッパを舞台とした架空歴史漫画。東ヨーロッパの社会主義国家に囲まれた架空の小王国で王政打倒のクーデターが勃発し、国王夫妻は殺害される。

王女3人と従僕の少年の逃避行が描かれる。年齢からすると仕方ないが、末娘の聞き分けのなさに少しイライラさせられる。王女達はハンガリーに逃げ、そこから鉄のカーテンの向こう側のウィーンを目指す。

21世紀人からすると冷戦時代は歴史の世界である。それを感じさせる作品である。日本では、いつまでも右肩上がりの経済成長の感覚で、冷戦とバブル崩壊後の時代を失われた云十年と言っている昭和アナクロニズムがまだまだ幅を利かせている。しかし、時代は確実に動いている。

超能力や亡くなった双子の姉妹の精神が生きているなど超自然的な要素がある。それは中世ヨーロッパを舞台とした歴史作品で魔法が登場しても違和感が少ないことと同じである。21世紀人からすれば冷戦時代の歴史作品で超自然的要素があっても違和感がない。

社会主義という現代からは信じられない非合理極まる体制があった時代の物語というスタンスで描かれる。その一つが警察国家の支配である。自由の価値を再確認する。但し、警察国家は社会主義国だけの問題ではない。分かりやすい反面教師がなくなったことで、逆に資本主義国が警察国家化していないだろうか。

解説コラムでは社会主義計画経済のマイナス面として、消費者が問題ある企業の商品を買わないという選択ができないことを指摘する。これは重要である。市場経済でも公務員サービスや規制産業など消費者の選択が制限されている場合は同じ問題が起きる。マンション購入のような一生に一度の買い物も、業者はリピーターを気にしないため、だまし売りが合理的になりやすい。

一方で本作品のハンガリーの農村の農民は社会主義体制が理想的ではないが、貴族支配がなくなっただけでも良いと述べる。マルクスは資本主義が発展して社会主義になると述べたが、現実は封建的な地主支配のロシアや中国で社会主義革命が成功した。封建的支配を壊すという点では価値があった。これはブラック企業や日大のような前近代的なボス支配が拡大再生産される日本で示唆的である。

お盆の朝のアメ横

お盆の朝のアメ横を歩きました。アメ横は東京都台東区にある商店街です。上野駅から御徒町駅を結びます。アメ横はアメヤ横丁の略称ですが、商店街の正式名称はアメ横商店街連合会です。名前の由来は飴屋が多かったとする説と米軍の払い下げ物資を扱う店(アメリカ屋)が多かったとする説があります。飴屋が多かった理由は砂糖の統制で甘いものが重宝されたためです。
アメ横はグルメやお得な買い物が楽しめます。食材から雑貨まで様々な店舗が並びます。値段と品質が比例する愚かな価格信仰とは無縁の商店街です。大晦日は正月の買い出しをする人々で混雑し、ニュースになるほどです。近年は外国人観光客も多く、人気の観光地です。この日も外国語で話す人々がいました。
再開発されたコンクリート都市にはない、ごちゃごちゃ感が魅力です。高架下を活用した商店街です。大井町線の高架下住民を立ち退かせた東急電鉄の貧困さとは対照的です(林田力『東急大井町線高架下立ち退き』Amazon Kindle)。

ビジョナリー・マネジャー

秋元征紘『ビジョナリー・マネジャー』(クロスメディア・パブリッシング、2017年)は企業家のように考え、行動する自律的な社員を増やす方法を明らかにするビジネス書。そこではビジョナリー・マネジャーが鍵になる。

情報が世界経済を動かす情報社会では、企業ビジョンが重要性を帯びている。企業は自分達の夢(ビジョン)を掲げ、夢の実現が社会にどのように貢献するかのミッションを記し、顧客らステークホルダーと価値(バリュー)を共有する。この企業ビジョンを掲げてリーダーシップを発揮するリーダーがビジョナリー・マネジャーである。

個人の考えが多様化している現代では、お金や右肩上がりの成長という直接的な基準ではなく、心に響く企業ビジョンが求められる。そこで重要になるコンピテンシーにコンパッションがある。人の苦しみや痛みを理解する感性を持ち、その気持ちを行動に変えられる能力である。この指摘は重要である。この能力があればマンションだまし売りや迷惑勧誘電話による投資用マンション売りつけなどは起こらないだろう。

本書は自律的な社員を増やすために社員を金銀銅鉄の4ランクに分類する。分類の基準は戦略の理解と情熱的なコミットメントである。戦略の理解と情熱的なコミットの両方が高い社員は最上ランクの金の社員に分類される。両方が低い社員は最低ランクの鉄の社員に分類される。これらは理解しやすい。但し、「無能な働き者は銃殺するしかない」が有名なゼークトの組織論からすれば情熱的なコミットメントが低い方が良いのではないかという考えもある。

意外なものは銀の社員と銅の社員である。本書は銀の社員を戦略の理解が低く、情熱的なコミットメントが高い社員に分類する。銅の社員は反対で、戦略の理解は高いが、情熱的なコミットメントが低いとする。つまり、本書はどちらかと言えば情熱的なコミットメントを重視していることになる。

これは私には意外であった。ゼークトの組織論の影響が強く、情熱的なコミットメントだけあっても迷惑ではないかと考えた。もっとも本書の銅の社員の戦略の理解が高いとは、仕事の内容と自らの役割は理解しているが、会社の目標・戦略に心から賛同していないこととする。本当の意味で戦略を理解しているとは言えない。情熱優先という訳でもなさそうである。

アナーキストの銀行家 フェルナンド・ペソア短編集

フェルナンド・ペソア 著、近藤紀子訳『アナーキストの銀行家 フェルナンド・ペソア短編集』(彩流社、2019年)は20世紀前半のポルトガル人作家の短編集。「独創的な晩餐」と表題作「アナーキストの銀行家」が印象に残った。

「独創的な晩餐」は常人が思い付かない独創的と称した晩餐会に招待される話である。ホストにとってはゲストとの勝負である。推理小説が作者と読者の勝負であるように、読者もゲストの立場でホストの背後の作者と勝負する気持ちになる。私は見事に敗れた。特別なことをしないことが最上のサービスというような、もっと哲学的な価値を提示する話と予想していた。

一方で無礼な若者達の使い方については視点人物の推測以上に理にかなっている。コミュニケーションをすること自体が馬鹿らしいと思ってしまう相手がいることは事実である。通俗的な日本人は「昨日の敵は今日の友」的な大団円が好きだが、過酷なイジメ社会を生きる人々には響かない。むしろ、プロージット氏のような使い方の方が溜飲が下がる。

「アナーキストの銀行家」はアナーキストである人がアナーキズムを堅持するが故に銀行家でいる理由を説明した話である。会話形式で進むが、社会主義関係の書籍に共通する難解さがある。

銀行家はアナーキストの運動が専制政治を倒すことを目指しながら、自分達の中に専制政治を生み出していると知って絶望する。この左翼に見られがちな矛盾を本書は見事に突いている。正直なところ、本書がもっと早くに邦訳され、昭和の学生運動界隈で読まれれば、査問会や総括の悲劇も減ったのではないか。

銀行家が左翼の矛盾に気付いた理由は、アナーキズムの目的を自由としているためである(167頁)。これは自由と平等を対立的に捉えて、後者を重視しがちな社会主義や共産主義とは異なるところである(168頁)。そもそも自由の拡大を目的としていないならば、新たな専制政治を生み出す矛盾も気付きにくい。

アメリカではリバタリアンとコミュニタリアンの対立がある。共同体よりも自由を重視する銀行家はアナーキストとして異端の部類に属すると言えるかもしれない。一方で国家を否定するアナーキズムは、国家の経済介入を否定する市場主義と親和性がある面もあり、リバタリアンのアナーキズムも成り立つかもしれない。

銀行家は解決策として各自がバラバラに取り組むことを提案する(130頁)。ところが、同志達から大ブーイングを受ける。銀行家は同志達が単に運動ごっこ、革命ごっこをやりたくて集まっているだけではないかと失望する。これは自由が軽視され、連帯が自己目的化しがちな日本では特に深刻だろう。

銀行家の主張は示唆に富むが、結論は即物的に感じた。哲学的な方向性を示しながら、結末は即物的という点は「独創的な晩餐」と共通する。金にあくせくしないようにすることは良い。しかし、見栄や他人の評価のために、もっと金を集めようとすることは、それも金にあくせくすることになる。社会制度への隷属である。右肩上がりの進歩的発展的な価値観から抜けられていない。サステナブルな価値観が台頭した21世紀からは時代を感じる。

深川ギャザリアの噴水

深川ギャザリアの噴水です。
深川ギャザリアは江東区木場の複合商業施設です。イトーヨーカドー木場店やレストラン、オフィスなどがあります。東京メトロ東西線木場駅徒歩数分のところに位置します。三つ目通りに面しています。藤倉電線(フジクラ)の工場跡地でした。
センタープラザは噴水広場やイベント会場になります。夏場の噴水は涼やかな印象を与えます。A water fountain gives a cool impression in the summer.優雅に噴き出す噴水広場は空間的ななゆとりをもたせようという工夫です(林田直樹「コンサートホールの周囲にある“スペース”の大切さについて」otocoto 2019年8月5日)。クリスマスシーズンにはクリスマスツリーが飾られます。イルミネーションが点灯します。

東海道新幹線のぞみ237号@名古屋駅

東海道新幹線のぞみ237号が名古屋駅に到着します。名古屋駅は愛知県名古屋市にあります。この日は大雨が懸念された日でした。

上野駅デイノケイルス巨大着ぐるみパンダ

デイノケイルス巨大着ぐるみパンダが2019年8月1日から9月30日まで上野駅グランドコンコースに展示されます。国立科学博物館「恐竜博2019」(2019年7月13日開催)を記念し、上野のシンボルのパンダと恐竜がコラボしました。アトレ上野の恐竜をテーマにしたイベントの一環です。
着ぐるみパンダは全長5メートルです。手の爪は3本です。正面だけを見るとピンクのパンダという程度の印象かもしれませんが、後ろから見ると爬虫類です。デイノケイルス(Deinocheirus )は「恐ろしい手」を意味する恐竜です。モンゴルのゴビ砂漠で化石が発見されました。
上野駅を出ると「あゝ上野駅」の歌碑があります。機関車と集団就職者が描かれています。昭和の高度経済成長期の集団就職を描いた井沢八郎の大ヒット曲です。歌手の林田麻友子さんも歌っています。京成上野駅方面に進み、アメヤ横丁(アメ横)の入口まで行きました。

角田光代『紙の月』

角田光代『紙の月』(ハルキ文庫、2014年)は男に会いたくて一億円を横領した女性銀行員の心理に迫る小説である。あらすじは、ありきたりな事件物語風であり、あまり魅力を感じなかった。私は拝金主義や人間関係の泥沼に興味はない。しかし、小説は全てを捨ててタイで潜伏しているところから始まり、読ませる。拝金主義や人間関係だけの話ではない期待が膨らむ。

主人公は健全な経済観念を有していた。「高級店の常連になることよりも、安くておいしいものを見つけて笑いたかった」(80頁)。味が価格に比例すると考えるような浅ましい拝金主義ではない。

そのような主人公であったが、買い物をしまくるようになって、おかしくなる。浪費は害悪である。SDGs(Sustainable Development Goals)はゴール12で「持続可能な生産消費形態を確保する」を定める。ここでは生産側の責任が大きい。環境負荷のあるプラスチックストローを使わないことが典型である。しかし、持続可能な消費という点も重要と感じた。

主人公の夫は悪い。もう少し関心や思いやりを持てないものかと思う。しかし、主人公には個人として消費社会を生きていく上で問題がある。自分が楽しみたいものを楽しむという「お一人様消費」ができていない。誰かに見せるための買い物でしかない。やはり個の確立が日本社会の課題になる。

子竜螢『不沈戦艦「紀伊」』

子竜螢『不沈戦艦「紀伊」』は太平洋戦争の架空戦記。大日本帝国海軍が戦艦「大和」を上回る超弩級戦艦を建造し、運用するIFを描く。戦艦「紀伊」は「大和」の倍の艦体と51センチの巨砲を持つ。漫画化された。

日本海軍は大艦巨砲主義に固執して敗北されたとする見方が一般である。海軍では大艦巨砲と航空主兵が対立したが、前者が時代遅れの頑迷な保守派に描かれることが多い。これに対して本書は大艦巨砲主義に肩入れする。しかし、単なる旧海軍の正当化ではない。本書の大艦巨砲主義は旧海軍の大艦巨砲主義とは別物である。

紀伊は日本海軍が軽視していたダメージコントロールをしっかりしている。旧海軍の大艦巨砲と航空主兵も攻撃偏重という点では同じであった。この点がアメリカ軍に劣っていた。また、戦術でも敵補給艦隊を狙うなど艦隊決戦主義に固執していない。ダメコン重視、兵站重視という現実の日本海軍にはない新しさがある。

紀伊はチート的な活躍をする。しかし、戦争全体では日本は米軍の物量に押される。少数精鋭の艦隊が戦局を覆すという漫画的な展開にはならない。精神論根性論で何とかするという話でもない。この点で現実味がある。
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