水炊き鍋は、鍋に水を張り、鶏肉や野菜などの食材を煮込む鍋料理である。林田平三郎が1905年(明治38年)に博多の須崎に水炊きの店「水月」を開業したことが初めとされる。水炊き鍋の由来には別の説もあり、似たような料理が南蛮料理として江戸時代から長崎に存在していたとする。
林田平三郎の水炊き鍋は鶏のスープで鶏肉を食べる鍋である。鶏肉を骨ごと煮込んだスープの中に、野菜を加えてポン酢で食べる。スープはコラーゲンがたっぷりで美容にも向いている。〆は雑炊か麺類である。最後の一滴までスープを飲みたい。これが博多水炊きであり、東京の軍鶏鍋、京都のかしわ鍋、秋田のキリタンポと合わせて四大鶏鍋料理と呼ばれる。これとは別に関西系の水炊き鍋がある。これは昆布出汁で野菜と鶏を炊いた鍋がある。
林田平三郎の水炊き鍋は透明なスープである。長時間煮込むのではなく、短時間炊く。これによって鶏の旨味が全てスープに流出せず、スープが澄んだものになる。豚骨ラーメンとは真逆の発想である。博多水炊きには白濁したスープのものもある。これは「水たき」ではなく、「水だき」と濁って発音する(FM FUKUOKA『匠の蔵~words of meister~』「水月【水炊き 福岡】 匠:林田三郎さん」2012年12月04日)。
林田平三郎は1897年に15歳で香港に渡り、英国人の家庭に住み込みで西洋料理と中華料理を勉強した。帰国後に西洋のコンソメと中華の「鶏を炊き込む」技法を混合させて水炊きを考案した。あっさりしたスープ仕立てで、季節の野菜や麺、ご飯を入れるなど日本の味にした点が工夫である。あっさり味が日本人向きという点は素材の味を好む日本料理の本質を突いている。
水炊き鍋は博覧会を見に来た人が食べて評判になり、一躍有名になった(NHKEテレ「趣味どき 鍋の王国 第3回 水炊き 博多っ子のごちそう」2018年12月19日)。林田平三郎は水炊き鍋に使用する鶏を宮崎産、鹿児島産の雄に限定した。その水炊きに使う鶏肉だけを運ぶための貨物列車「水炊き列車」を題材とした小説がある(山田ひかり「水炊き列車」大谷大学文藝コンテスト小説部門・最優秀賞)。
水月の味は一子相伝で引き継がれてきた。橙のぽん酢を使用する。水炊きの〆の麺類はうどんが多いが、水月の〆は素麺である。これを地獄炊きと呼ぶ。兵庫県姫路市林田町は素麺の産地である。林田つながりを感じる。