冤罪は決して他人事ではない。冤罪によって今まで築き上げた多くのものを失ってしまう。それにもかかわらず、警察の捜査に違法性はないとされてしまう。今こそ日本人はこれ以上冤罪被害者に泣き寝入りさせることがないよう真剣に考えるべき時が来ている。焼け野原から経済大国にしてしまう前に進むだけ、頑張るだけの日本的発想は時代遅れである。
冤罪被害者は皮膚を引き剥がされ、肉を晒された気分になる。市民は踏んだり蹴ったりである。何故警察官は相手の品格を貶め、不安と恐怖しか与えられないような言動を行うのか。警察組織は市民感覚からずれている。警察は冤罪被害者の無念さに対しての認識が非常に不足している。何故冤罪が起きたのか、何が起こったのかという開かれた制度になっていない。被疑者・被告人の人権に対する啓蒙活動が不足している。
冤罪は国家による犯罪である。冤罪により刑罰を受けた人は、国家権力によって人権を侵害される(『冤罪白書』編集委員会『冤罪白書 2019』燦燈出版、2019年)。見込み捜査によって今までの人生は台無しにされる。市民の幸福を盗み、名誉を踏みにじり、自らは点数稼ぎをする。名誉回復の仕組みは十分ではない。これからの人生も台無しにされる。
冤罪が生まれやすくなる背景として法律の恣意的な運用がある。欧米の共通の制度として罪刑法定主義がある。違法か違法ではないかを明確に定める。ところが、日本では警察官や検察官の裁量が大きい。法律の恣意的な運用は日本の行政のあらゆる場面に見られる悪癖である。一貫した理由の説明はアカウンタビリティの観点から当然に求められる。
「法律の恣意的な運用をやめてください。収容する時も、仮放免の許可を出さない時も、次回の仮放免期間あるいは仮放免申請時に参考にすることができる一貫した理由を、個別ケースに応じて明らかにしてください。」(「入管庁は、非正規移民の長期・無期限収容をやめてください。ハンストを無視せず、恣意的な収容行政をやめてください」)
「警察・検察による自白強要、それを鵜呑みにする裁判官。真実は何処に。はっきりしています。警察・検察が、ちゃんと手持ちの証拠を全面開示すれば一目瞭然です」(「傍聴席」救援新聞、日本国民救援会東京都本部、2020年1月25日)
組織内での初動対応によってその後の被害が大きく変わってくる。多くの事例では警察の捜査に問題があっても、外部から指摘を受けるまで問題化することはない。自組織で自発的に行うべき見直しがなされていない。情報公開がなされず、実態を正確に把握できなければ、警察不祥事の対応も困難になる。風化はしない。むしろ問題は拡大する。
冤罪
林田力
江東住まい研究所
2019-03-23