林田力 だまし売りをなくしてSDGs

『東急不動産だまし売り裁判』著者

マンションだまし売り被害を消費者契約法で解決した裁判闘争を描くノンフィクション『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』著者。だまし売りをなくすことでSDGsの持続可能な消費に寄与したいと活動しております。
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スポット

近鉄特急・名古屋行が津駅を出発

近鉄特急の名古屋行が津駅を出発しました。津駅は三重県津市にあります。津駅はJRと近鉄が同じ駅にあります。名古屋駅は愛知県名古屋市にあります。名古屋は中京圏の中心です。近鉄名古屋駅と津駅は近鉄名阪特急と近鉄名伊特急が重なります。近鉄の伊勢進出は伊勢神宮参拝客輸送のためでした。これは成田山新勝寺の京成電鉄、川崎大師の京急電鉄と関東の私鉄と共通します。私の初めての近鉄乗車は中学校の修学旅行の京奈特急でした。京都駅から奈良駅を移動しました。

力うどん定食

力うどんは餅の入った、うどんです。餅うどんではなく、力うどんと呼ばれる所以は、餅を食べると力が出でるからとの説があります。「力もち」にひっかてて餅を力餅と呼ぶ言葉遊びとする説があります。近畿地方では「かちんうどん」「かっちんうどん」と呼ばれます。「かちん」は餅を意味する女房言葉です。これも「勝ち」とかかるため、縁起が良いです。受験生の夜食にも向いています。
羽海野チカ『3月のライオン』7巻では主人公の零が力うどんを注文します。温かい力うどんと冷たいアイスは魔のループで繰り返し交互に食べることで、どこまでも食べられるそうです。
力うどん定食を大森屋仲見世支店で食べました。力うどんには海苔やカマボコが入っています。力うどんは670円です。定食は300円を追加します。うどんに餅、ご飯と炭水化物だらけで、お腹いっぱいいなりました。大森屋仲見世支店は三重県津市大門にあります。津観音の近くです。支店とありますが、チェーン店らしさはありません。暖簾分けでしょうか。
食事目的の一見客にとって麺類の店は入り易くて重宝します。寿司屋などは、お酒がメインの店ではないかと考えてしまうためです。ラーメン店に比べると、立ち食いではない蕎麦うどんの店は落ち着いて食べられることが多いです。

西嶋八兵衛は藤堂高虎の家臣

西嶋八兵衛は藤堂高虎の家臣。慶長元年(1596年)生まれ。土木や治水で活躍した。八兵衛は高虎の命で讃岐高松藩に派遣され、藩政に携わった。高虎は高松藩主の生駒高俊の外祖父であり、幼少の高俊の後見人であった。高虎は黒田孝高、加藤清正とともに築城の名人として知られる。
高松藩での八兵衛の業績は満濃池の改修などの水利である。満濃池は弘法大師空海が改修したとされる溜池であった。しかし、決壊や堤防老朽化で450年間以上壊れたままであった。八兵衛は他にも多くの溜池を作り、新田開発を進めた。この結果、高松藩は慶長6年の約17万石の石高が寛永17年には約23万石に増加した。林田村の寛永16年の石高は1486石余。このうち、生駒家家臣が自分用の新田とした石高が92.5石であった(北山本新庄研究室「生駒家による林田開発」)。
生駒家は、お家騒動の生駒騒動が起きて改易されてしまう。その前に八兵衛は手を引き、津藩が生駒騒動に巻き込まれることはなかった。津藩でも雲出井用水開削などの水利事業で活躍した。津市丸之内商店街には西嶋八兵衛の銅像がある。

津観音(恵日山観音寺)

津観音(恵日山観音寺)は浅草観音、大須観音と並ぶ日本三観音の一つ。真言宗醍醐派の名刹。本尊は秘仏の聖観世音菩薩。三重県津市大門にある。奈良時代の初めの和銅2年(709年)開山。阿漕ヶ浦の漁夫の網に聖観音立像がかかって、これを本尊とした。漁をしていて本尊を発見した由来は浅草観音の浅草寺と共通する。
津観音は関ケ原の合戦の前哨戦の安濃津城の戦いで焼失した。この戦いには林田藩の初代藩主・建部政長の父親の光重が西軍で参戦した。津藩主となった藤堂高虎が1613年に再建した。津観音は津城の鬼門守護の役割も果たした。周辺は門前町として栄えた。現在も津観音周辺は繁華街になっている。「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ」と謳われたが、伊勢神宮参拝者は津観音にも詣でた。1945年の空襲で多くの文化財と大伽藍を焼失した。木造の五重塔がある。映画監督の小津安二郎の記念碑もある。小津は東京市深川区万年町(東京都江東区深川)生まれの江東区ゆかりの人物であるが、三重県で育っている。

津城の復興丑寅櫓

津城の本丸には丑寅三重櫓、戌亥三重櫓、伊賀櫓、月見櫓、太鼓櫓があった。丑寅櫓跡に模擬三重櫓が建てられ、復興丑寅櫓と呼ばれている。
かつて関ヶ原の戦いの前哨戦の安濃津城の戦いが行われた。安濃津城の戦いでは林田藩の初代藩主・建部政長の父親の建部光重が西軍で戦った。西軍は毛利秀元、長束正家、安国寺恵瓊、鍋島勝茂、長宗我部盛親ら3万に対し、信高らは約1700と寡兵であった。しかも、その城兵の八割近くが津町の義勇兵で、町民も籠城して戦った津町の総力戦であった。
城兵は奮戦したが、津の町も城の建造物も大半が焼失した。木食応其の調停により開城となった。それでも西軍を津で足止めした功績は大きい。もし西軍が伊勢を平定したら、尾張に攻め込むことができる。そうなれば関ヶ原で雌雄を決するという家康の構想自体が成り立たなかった。
関ヶ原の合戦が東軍の勝利に終わると、信高は加増された。開城しながらも西軍足止めが評価された点は京極高次と重なる。戦略目的があっての戦いであり、「生きて虜囚の辱を受けず」の軍国主義ではない。ひたすら根性で頑張る昭和の精神論でもない。逆に西軍に与した光重は所領を没収された。しかし、義父池田輝政の取り成しで許された。池田氏との関係が建部氏の力になった。

ドラえもんが和風旅館に宿泊します

ドラえもんが和風旅館に宿泊します。布団の上で寛いでいます。畳の匂いがします。布団を畳むことで部屋が広くなり、開放感があります。洋風ホテルのように室内でスリッパを履かなくて良い点も寛げます。和風旅館の良さを再確認しました。
お風呂は大浴場というほどではないですが、十分に寛げる広さです。貸切風呂方式と違って、断りなく入浴できるため、気軽です。利用者が集中すると混雑しますが、私が利用した時間帯は大体空いており、快適でした。
コスパの高い旅館です。価格と品質や価格と味は相関関係ではないことを再確認します。「せっかく金持ちになっても、いたずらにおカネを使うのであれば意味がない」(Hans Rosling, Ola Rosling, Anna Rosling Ronnlund著、上杉周作、関美和訳『FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣』日経BP社、2019年、82頁)。
I am traveling. I stayed at a Japanese-style inn.

豊洲運河の屋形船

屋形船が江東区豊洲の豊洲運河を南東に進みます。豊洲橋をくぐります。屋形船は、のんびりとした舟遊びです。川の上は夕涼みになります。屋形船には風情があります。屋形船は平安時代の貴族の遊びでした。船の上で桜や紅葉を愛で、漢詩や和歌を詠み、楽器を奏でました。昭和の戦後は土建国家化が進み、川岸のコンクリート化や水質汚染で廃れました。屋形船には土建国家や工業社会から脱却する側面があります。

名古屋・泥江町交差点の松竹梅モニュメント

愛知県名古屋市中村区の泥江町(ひじえちょう)交差点の北東の角に松竹梅のモニュメントがあります。但し、竹が見当たりません。
解説には「松の長寿、竹の生命感、梅の気品」とあります。松竹梅と言えば上中下という商品のランクを連想する向きもあるかもしれませんが、この松竹梅は各々異なる価値を並べています。価格と品質が比例するという愚かな価格信仰とは無縁です。
解説には「日本古来の和風感覚の魅力を演出しております」とも書かれています。泥江町交差点には名古屋国際センターがあります。外国人に和風感覚をアピールしているのでしょうか。梅は大陸文化の風雅を象徴しており、和風感覚と言っても排外主義ではありません。

京成上野駅

上野駅は日本を代表するターミナル駅です。東京の北の玄関口です。
京成上野駅は東京都台東区上野公園にある京成電鉄本線の駅です。上野恩賜公園の真下にあります。南に進むと都営大江戸線の上野御徒町駅があります。東進ハイスクールが情報誌を配布していました。その情報誌は埼玉大学のキャンパスを特集していました。
上野には牛丼屋「牛の力」(ぎゅうのちから)があります。東京牛丼が基本メニューです。「牛力丼 白」は東京牛丼にバターや温泉玉子、刻み海苔を乗せました。「牛力丼 赤」は東京牛丼に赤味噌や温泉玉子、糸唐辛子を乗せました。辛めのメニューです。

上野東京ライン下り東京駅から尾久駅

東海道線・上野東京ライン・高崎線籠原行が東京駅から、上野駅、尾久駅です。
狭義の高崎線は埼玉県さいたま市大宮区の大宮駅から群馬県高崎市の高崎駅までです。大宮駅から東京駅は宇都宮線(東北本線)に乗り入れている。東京駅から高崎駅までを高崎線と称することが一般化している。宇都宮線は上野駅が出発駅であったが、上野東京ラインの開業で東京駅からになりました。これにより、東海道線と連結することになりました。

イカそうめん【天然温泉まねきの湯】

イカの刺身は独特の触感があります。ツルツルしていますが、噛み応えがあります。ツルツルした特徴を活かした料理がイカそうめんです。イカの刺身を麺状に細く切り、素麺のようにしました。函館料理です。素麺のようなイカという意味です。イカの中に素麺が入ってそうなビジュアルですが、イカと素麺ではありません。新鮮なイカは刺身が向いています。イカそうめんは清涼感があります。江戸川区船堀の「天然温泉 東京健康ランドまねきの湯」のイカそうめんは素麺よりは太く、イカの触感を楽しめます。
イカ料理と言えば佐賀県の呼子(よぶこ)イカは透明すぎるイカで有名です。呼子のイカ料理店と言えば林田宗雄さんの「海中魚処 萬坊」です。佐賀県唐津市呼子町殿ノ浦の海に浮かぶため、海中レストランと呼ばれています。
I ate squid sashimi. Squid is one of the most common types of seafood served as sashimi after tuna. Did you know how delicious squid sashimi is?

織田作之助「世相」

織田作之助「世相」は1945年(昭和20年)の年末の混乱した大阪の世情に自らの心情を重ねた小説。過去の様々なエピソードと現在の状況が輻輳的に語られる。大阪府南河内郡林田村林田国民学校の訓導(教諭)が生活苦から闇商売に手を出す。主人公は作家であるが、作品が風俗壊乱を理由に発禁処分になった。しかし、世の中は公務員が机上で考えるほど単純ではなく、むしろ統制経済が風俗を乱す。透明性のある市場が大切である。

南河内郡林田村は存在しない。南河内郡で似た地名に富田林町がある。林田村は兵庫県八部郡と揖保郡、香川県綾歌郡にある。兵庫県八部郡林田村は駒ヶ林と長田の一字を組み合わせたもので、「林田」の意味はない。1896年(明治29年)に神戸市に編入された。1931年(昭和6年)に区制が施行され、林田区になった。しかし、1945年(昭和20年)5月1日に長田区になった。揖保郡林田村には林田村立林田国民学校が存在した。

本作品には「鈴の音が聴えるのはアイスクリーム屋だろうか夜泣きうどんだろうか」との表現がある。苦労人は過去に「夜泣きうどんの屋台車も引いた」と語る。夜泣きうどんは上方ならではの表現である。関東は夜鳴き蕎麦である。江戸時代から蕎麦やうどんを販売していたが、戦後はチャルメラのラーメンのイメージが強くなる。

ホテルチェーンのドーミーインの夜泣き蕎麦もハーフサイズの醤油ラーメンである。これは夜食の時間帯に宿泊客にサービスするものである。縮れ麺にメンマ、ネギ、海苔が乗っている。醤油ラーメンですが、あっさりしていて塩気は強くない。大豆の旨味を引き出している。私はドーミーインプレミアム和歌山とドーミーイン津で食べたことがある。

人工甘味料のズルチンが有害との描写がある。日本では1964年になって全面禁止されたが、それ以前から有害性が知られていた。後追いは危険ドラッグや脱法ハーブとも重なる。
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