大垣城は関ヶ原の合戦では西軍の拠点になった。大垣城に籠る石田三成らを野戦の名手の徳川家康が引きずり出したのが関ヶ原の合戦である。大垣は古来より尾張と近江を結ぶ重要拠点で、戦国時代には斎藤道三と織田信秀の争奪戦が行われた。名古屋から岐阜は、ほぼ南から北。厳密には岐阜がやや西側にある。岐阜から大垣は、ほぼ東から西。厳密には大垣がやや南側にある。
大垣城には戸田氏鉄の騎馬像がある。氏鉄は美濃大垣藩初代藩主。それまでは摂津尼崎藩主であった。氏鉄の前の尼崎藩主は建部政長。政長が播州林田藩に転封され、代わりに氏鉄が入った。氏鉄は地方知行制を廃止し、俸禄制度を採用した。
大垣城と林田藩の接点では池田恒興が天正11年(1583年)に大垣城主になっていた。天正12年(1584年)の長久手の戦いで戦死するため、僅か一年の城主であった。家督は輝政が継いだが、天正13年(1585年)に岐阜城主に移った。この輝政の養女が林田藩初代藩主の建部政長の母である。


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