林田力 何者のだましの堤防も崩す

『東急不動産だまし売り裁判』著者

ノンフィクション著者。『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』マンションだまし売り被害を消費者契約法で解決。何者もだまし売りのない世界へ。だまし売りNoでSDGs。消費者の堤防/Amazon Kindle出版/林田医療裁判/中野相続裁判/二子玉川再開発問題/書評/マンガ/YouTube
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書評

らーめん才遊記

久部緑郎作、河合単画『らーめん才遊記』(小学館)はラーメンの料理グルメ漫画。『ラーメン発見伝』の続編であるが、主人公は異なる。こちらの主人公・汐見ゆとりは『ラーメン発見伝』以上にぶっ飛んでいる。料理の才能はあるが、印象を擬音で表現するために読者にはすぐ分からない。それが物語になる。
『ラーメン発見伝』からの主要登場人物は「らあめん清流房」オーナーの芹沢達也である。芹沢はフード・コンサルティング会社「清流企画」を設立し、ラーメン店へのコンサルティングを行う。これは色々なラーメン店で話を進めやすい設定である。設定としては便利であるが、現実味はどうだろうか。他人のコンサルティングをする能力と時間があるならば自己のラーメン店の拡張を目指すのではないか。芹沢は実験的ラーメン発表の場として「麺屋せりざわ」まで運営している。経営リスクを負いたくないということでコンサルティングになるならば虚業になってしまう。
芹沢は悪役顔であるが、新しい考えの持ち主である。新米社員に雑巾がけをやってもらうという発想を否定する。新米もベテランも社員に求めることは稼げる仕事である。雑巾がけのうまい奴など必要ないとする。

らーめん才遊記 2

主婦層が客層のエリアでカフェ風のお洒落なラーメンを出したが、流行らなかった(久部緑郎作、河合単画『らーめん才遊記 2』小学館、2010年)。主婦層はボリュームを求めており、カフェ風のお洒落なラーメンでは物足りなかったためである。ここには健全な消費者感覚がある。
私もカフェよりもハンバーガーチェーンにコスパを感じる。むしろ食べる時はガッチリ食べたい。「いきなり!ステーキ」や、からあげ専門店「からやま」のようなステーキや唐揚げばかりを食べられる店舗が人気な理由もここにある。しかも、ご飯(炭水化物)を食べずに肉だけを食べるから糖の摂取が少ないという言い訳も可能である。

真実の終わり

ミチコ・カクタニ著、岡崎玲子訳『真実の終わり』(集英社)はトランプ大統領に代表される虚言やフェイクニュースを批判した書籍である。フェイクニュースが存在すること以上、虚言やフェイクニュースが非難されずに受け入れられていることが問題である。現実に2019年の台風19号で二子玉川が浸水したが、住民団体「二子玉川の環境と安全を考える会」が多摩川氾濫後にWebサイトを削除したとのフェイクニュースも流布された(林田力「台風19号の多摩川氾濫と住民運動へのフェイクニュース」ALIS 2019年10月14日)。

本書は、この背景としてポストモダニズムがあり、右派メディアとソーシャルメディアが加速させたと分析する。これに対抗するためには、教育と自由な報道が必要と主張する。ポストモダニズムの相対主義が背景になっているとの分析には同意する。しかし、絶対的な権威の押し付けに対抗するためにポストモダニズムは有用である。

20世紀的リベラル価値観は相対化してはならないという主張は御都合主義になるだろう。むしろ、21世紀を多く生きている世代にとって20世紀の価値観押し付けが息苦しさの原因になっており、その反感があることを直視しなければならない。20世紀的リベラル価値観の押し付けは反感を強めるだけである。

むしろ右派的なフェイクに対抗するためには虐げられた個人の立場に立ったポストモダニズムの相対主義を徹底することと考える。全体最適や目の前の問題の解決という名目で個人に負担や我慢を押し付けることを正当化しない。これを許してしまうと、例えば不法移民を規制するために何をやっても良いということになる。これに左派リベラルは、あまり有効に対抗できていないが、それは左派にも公共の福祉などの全体最適思考が強いためである。

『周五郎少年文庫 臆病一番首 時代小説集』林田秋想

山本周五郎『周五郎少年文庫 臆病一番首 時代小説集』(新潮文庫、2019年)は戦前発表の時代小説の短編集。少年向けであり、冒険小説も多い。探偵になる話もあり、チョンマゲを付けた現代劇的な話もある。

少年向けのため、少年が活躍する話が多い。意外にも「鳥刺おくめ」や「南海日本城」のように少女も活躍する。戦前は現代では想像できないほどジェンダー意識が強かったと思われるが、そうではないかもしれない。『美少女戦士セーラームーン』や『プリキュア』が流行る地盤は戦前から存在していた。むしろ、昭和の戦後が一億総中流の標準的ライフスタイルの押し付けによってジェンダーが強化されていたのかもしれない。

印象的な話は「異人館斬り込み」。幕末の神奈川が舞台。林田秋想という学者が登場する。英語やフランス語を教えている。フィクション作品では林田先生が優れた教師として描かれる(『三月のライオン』『バトル・ロワイアル』)。その源流になるだろうか。幕府がフランスと締結する予定の条約案が、幕府を援助するという建前で日本を侵略するものと見抜く。悪徳商法の契約書のようなものである。

現代では薩摩や長州がイギリスの傀儡という見方が根強いが、戦前は幕府が日本をフランスに売り渡そうとしていたという見方が強かったのだろうか。それは明治政府の正当化に都合のよいイデオロギーである。この話のフランス将校は悪の侵略者でしかない。一方で九州を舞台とした話「決死仏艦乗込み」のフランス将校は相手を評価できる人物に描かれている。単純に列強を悪としていない。明治政府正当化のドグマから幕府が絡むと悪になるのだろうか。

幕末にフランスと協調して幕府の建て直しに最も積極的な幕臣は小栗上野介忠順であった。小栗はフランスからの借金で横須賀造船所を建造した。彼は国を売り渡そうとする人々の真逆である。アメリカで不平等な為替レートの見直しを要求するなどNOと言える日本人と評される骨のある人物であった。この小栗上野介は林田藩主の娘を妻としていた。林田という学者にフランスとの条約の危険性を指摘させることに何か深い意味があるのだろうか。

王様の仕立て屋 下町テーラー

大河原遁『王様の仕立て屋 下町テーラー』は仕立て職人・織部悠の東京の活動を描く。悠は紳士服の本場イタリアのナポリで修行を積み、開業する凄腕職人。その悠が若き日に世話になった日本の下町・谷中の老舗テーラー店主が危篤になった。悠は急遽イタリアから帰国し、店番を始める。

第3巻は寿司屋の話から始まる。銀座で腕を磨き、故郷の房総の港町で開業したが、地域の魚市場では疎外され、良い魚を競り落とせない。仕立て屋が仕立てた衣装で魚市場関係者から一目置かれようとする。

高級スーツで一目置かれようとするという話ではない。価格と品質が比例するという愚かな価格信仰ではない。むしろ、その逆の印象を与えるために仕立て屋の手の込んだ働きがある。本作品は衣装で問題を解決する話であり、これで良いが、そもそも市場に見えない参入障壁がある閉鎖性が問題である。伝統的な市場がこのようなものならば消費者としてはAmazonマーケットプレイスのようなものの方が公正さを感じる。

この話では回らない寿司屋の蘊蓄が語られる。マグロは目玉であり、利幅を抑えた価格設定にしているため、マグロばかり食べる客は嫌われる。成程と思うが、それならば消費者が好きなものを気兼ねなく選択できる回転寿司の素晴らしさを逆に感じてしまう。

西条真二『鉄鍋のジャン!!2nd』

西条真二『鉄鍋のジャン!!2nd』は料理漫画。『鉄鍋のジャン!』『鉄鍋のジャン!R頂上作戦』の続編。『月刊ドラゴンエイジ』連載作品。秋山醤(ジャン)と五番町キリコの息子が主人公。息子の名前も醤(ジャン)で、父親とそっくりである。キリコのように料理は心と言うが、父親と同じく勝負好きである。料理は心の意味が分かっているのだろうか。

最初の話はスープ餃子の対決である。上等な小麦粉を使ったことが逆に失策となった。食材の価格と味が比例するという情報弱者の発想の失敗である。「値段が高いモノはいいモノ」は情報の非対称性による情報弱者の発想である。知識がないために高い値段が評価の判断基準になってしまう(崔真淑「「値段が高い=いい物」と判断する人の大誤解」東洋経済オンライン2019年9月2日)。

息子のジャンも料理のスパルタ教育を受けて育った。刀削麺は母親らしい女性がスパルタ教育をしている。キリコがスパルタ教育をするのだろうか。キリコのキャラクターらしくない。ここには謎がありそうである。

アルビン・トフラー 「生産消費者」の時代

アルビン・トフラー、田中直毅『アルビン・トフラー 「生産消費者」の時代』(日本放送出版協会、2007年)は未来学者のトフラー氏と評論家の田中直毅氏の対談である。トフラー氏は情報化を農業革命、産業革命に続く第三の波と表現した。この情報化によって消費者と生産者の壁が低くなり、生産消費者という新しい個人が台頭する。

変化のスピードはアクターによって様々である。時代の先端を走る企業を時速100キロメートルとすると、家族は時速60キロメートル、官僚機構は僅か時速25キロメートルである。家族は電化製品などの変化に対応するため、意外と速い。どうしようもないものが官僚機構である。民間感覚が大切である。

一方で先進的な企業のスピードは速いとしても多くの企業、特に日本企業のスピードは遅いと言えるのではないか。昭和の業界意識に浸かっている企業よりも家族の方が速い。消費者感覚が大事である。不動産業者のマンションだまし売りを契機としてインターネット上で不動産業者への批判が高まり、炎上と報道された(「ウェブ炎上、<発言>する消費者の脅威-「モノ言う消費者」に怯える企業」週刊ダイヤモンド2007年11月17日号39頁)。そこには消費者感覚と比べて後進的な不動産業者の感覚がある。

お茶の科学 「色・香り・味」を生み出す茶葉のひみつ

大森正司『お茶の科学 「色・香り・味」を生み出す茶葉のひみつ』(講談社、2017年)は、お茶の種類や歴史、効能、美味しい淹れ方などを説明する書籍である。お茶は非発酵茶の緑茶、半発酵茶の烏龍茶、発酵茶の紅茶などの種類がある。紅茶が多数派である。日常的に緑茶を飲む国は日本や中国、ベトナム、ミャンマーなどに限られている。

お茶を飲む文化は中国の三国時代に遡る。群雄が割拠し、魏呉蜀が覇権を争った時代である。日本は稲作文化がやっと定着した弥生時代の話である。隋代になると広く庶民にもお茶が浸透するようになった。

ヨーロッパで紅茶文化が花開くと、中国のお茶がヨーロッパに大量に輸出されるようになる。これはイギリスを貿易赤字で苦しめることになった。イギリスはアヘンを輸出するという卑怯で破廉恥な手段に出る。その結果、アヘン戦争が勃発する。アヘン戦争の敗北後、清国は欧米列強の半植民地となってしまった。中国茶貿易の実権を握られ、紅茶以外の中国茶は衰退した。依存性薬物の蔓延は、お茶という健康な文化を衰退させてしまう。依存性薬物は罪深い。

お茶は元々、薬として飲まれており、健康によい。免疫力が上がる。カテキンは生体の活性酸素を消去し、動脈硬化や細胞のガン化を抑制する。また、カテキンの吸着性は、インフルエンザウイルスを消去する効果がある。緑茶に入っている渋味が良い。食事では甘味や辛味は摂取できるが、渋味は中々摂れない。だからお茶を飲むと良い。

マンションだまし売り被害
https://www.youtube.com/watch?v=6mufNmM0KmA
東急不動産だまし売り裁判【何者】
https://www.youtube.com/watch?v=YKWgeqlOOic

ヒューマン・ユニヴァーサルズ

Donald E.Brown著、鈴木光太郎訳、中村潔訳 『ヒューマン・ユニヴァーサルズ 文化相対主義から普遍性の認識へ』(新曜社、2002年)は社会・文化人類学に新しいパラダイムを提示する書籍である。文化相対主義を批判し、人類の普遍的な特性を重視する。原題は『Human Universals』。

文化相対主義は絶対的な価値観の押し付けを否定し、多様性を認める点で価値があった。しかし、文化の個性を強調するあまり、特定の文化の中の個々人の意識の違いや進歩を軽視してしまう問題がある。それは特定の文化の中の抑圧や搾取を正当化する危険がある。日本文化の独自性を認める文化相対主義は既得権に浸かる日本人にとって心地良いが、特殊日本的集団主義を温存しかねない。その結果、目の前の問題を解決するという名目で個人に負担や我慢を押し付ける。そのような不公正が続けられてきた。

ビジネス書では『ティール組織 マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現』が話題である。人類の組織を発展段階に応じて分類する。このような発想は本書のような人類の普遍性を重視する立場があってのものである。

暴走族や半グレ、ヤンキーは現代日本の恥ずかしい風俗である。これは現代社会の病理というよりも、野蛮な原始集団と共通する。そろいのジャンパーや刺青。暴力をふるう。犯罪の共犯となる。『ティール組織』の衝動型(レッド)組織の最も原始的な形態だろう。

19世紀問題 近代のはじまりを再考する

関眞興『19世紀問題 近代のはじまりを再考する』(PHP研究所、2019年)は19世紀の世界史を語る書籍である。民族問題や紛争・テロ、経済格差という現在の世界的な問題の種が19世紀に蒔かれていたと指摘する。そこには国民国家という発想が大きい。

19世紀を語るためには、18世紀末からの産業革命や市民革命から始める必要がある。これらは人類史の進歩と位置づけられるが、多くの人々にとっては生存が脅かされることになっていたとする。既存の相互扶助のコミュニティーや精神が解体され、一人ひとりの人間が自分の力で生きていかなければならなくなった。

この問題を克服するために1930年代に国家が経済を主導する経済政策が実践された。第一にケインズ経済学を背景にしたフランクリン・ルーズベルト米国大統領のニューディール政策。第二にドイツのアドルフ・ヒトラーの国家社会主義。第三にスターリンの社会主義計画経済。それぞれ思想的基盤は異なり、互いに批判しあう関係にあったが、国家主導の経済という点で似通っている。19世紀の生んだ国民国家というフィクションの呪縛の結果だろう。

国家主導経済は官僚の無能や怠慢によって無駄や非効率を生むことが明らかになり、20世紀末からは市場を重視する新自由主義が広まった。産業革命に匹敵するIT革命と呼ぶべき自体も進行中である。21世紀序盤は19世紀序盤と重なると言えるだろう。この環境変化を国家共同体の力で管理しようとする20世紀的発想を繰り返すならば進歩がない。市民革命が夢見た個人が縛られずに自由に生活できる社会を目指したい。

栄光のナポレオン エロイカ

池田理代子『栄光のナポレオン エロイカ』はナポレオン・ボナパルトを描いた歴史漫画。物語はテルミドール反動後から始まる。為政者は利権の維持追求が第一であり、腐敗していた。王党派が実力で政権奪取を計画していた。作者は『ベルサイユのバラ』と同じ。『ベルサイユのバラ』のオリジナルキャラクターも登場する。後日談的な要素がある。

ナポレオンを主人公とした作品となると英雄物語を連想する。しかし、本作品はバスティーユ監獄襲撃に参加した生き残りが狂言回しになっている。皇帝になったナポレオンを肯定一色では描かないだろう。皇帝就任はフランス革命の精神からすれば裏切りである。

また、本作品ではフーシェやタレイランというナポレオン没後も生き延びた陰謀家を存在感のあるキャラクターとして描いている。ナポレオンの足りなかった点も描きそうである。

第1巻のメインはナポレオンとジョセフィーヌの関係である。後の離婚を知る立場からすればジョセフィーヌに感情移入したくなるが、この時点では立場は逆であった。二人の関係がどのようになるか興味深い。

フランス革命を描いた人が、その後でナポレオンを描く。これは小説家の佐藤賢一も同じである。ナポレオンは皇帝になり、フランス革命の息の根を止めた。このため、フランス革命を肯定的に捉えるならば否定的に考えたくなる。同時代人ではベートーベンの評価が有名である。一方でナポレオンの対外戦争は革命精神の輸出の側面もある。フランス革命の延長線上に考えることもできる。

イタリア遠征ではナポレオンのアルプス越えは画期的な出来事とされるが、本作品では特に苦労なく終わる。コロンブスの卵のようなものなのだろうか。あまり戦術的なことは描かれない。ここは女性向け漫画らしい。アラン・ド・ソワソンだけは超人的に活躍する。これはオリキャラ補正だろうか。
ナポレオンはジョセフィーヌのことばかりである。兵士と同じ食事を摂っていても、これで士気が保てるだろうか。これに対してジョセフィーヌは浮気しており、華やかなパリを離れたがらない。ジョセフィーヌが離れたがらない理由には住み慣れたという点があろうが、パリが文化の先進地域という感覚もあるだろう。ルネサンス期まではイタリアが文化の先進地域であった。時代が変わっている。
ナポレオンは兵士の略奪を厳禁する。違反者は死罪とする。これは織田信長と共通する。占領地の急拡大の背景には住民の支持が不可欠である。我慢や負担を強いてばかりの日本の公務員感覚とは異なるところである。

FACTFULNESS(ファクトフルネス)

Hans Rosling, Ola Rosling, Anna Rosling Ronnlund著、上杉周作、関美和訳『FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣』(日経BP社、2019年)は世界を正しく捉える見方を提示する書籍である。現代人は10の思い込み的な本能によって世界を正しく見ることができていないと指摘する。

最初の分断本能は、世界が先進国と途上国、金持ちと貧乏人など分断されているとする見方である。しかし、統計では乳児死亡率や就学率は途上国も含めて向上している。人類の「ほとんどはグローバル市場に取り込まれ、徐々に満足いく暮らしができるようになっている」(43頁)。日本では進歩派も保守派もグローバル化を格差拡大と脊髄反射的に拒否する傾向がある。しかし、透明性のある市場ルールが入ることで、業界の既得権が廃れ、消費者の選択肢が増え、生活しやすくなっている。

次のネガティブ本能は、世界はどんどん悪くなっているという思い込みである。しかし、「多くの人は、上の世代が経験した悲惨な出来事から目を背けがちだし、それを下の世代に伝えようともしない」(84頁)。これは経済大国の「成功体験」を持つ日本で深刻だろう。実際は昭和の日本は目の前の問題解決のために我慢や負担を強いられ、頑張ることを強要する集団主義や精神論根性論が横行していた。昭和に比べれば個人が格段に暮らしやすくなっている。

本書は世界が良くなっているという肯定的な姿勢である。全体的に見て、そうであるとしても、個々には深刻な不合理や不正があるだろう。私にはマンションだまし売り被害という個別的な経験がある(林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』)。全体的に良くなっているという話で有耶無耶にされたらたまらない。

この点も本書は考慮している。本書は「悪い」と「良くなっている」は両立すると指摘する(89頁)。これは納得である。深刻なマンションだまし売り被害があること、一方でマンションだまし売り被害を消費者契約法で対抗できるようになったことは両立する。
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